みなさんこんにちは。文系女子SEのほりごたつ(@horigotatsuSE)です。
今回は舞台の解釈記事となります。
公演真っただ中のためはばかられますが。。
(’20.3.14更新 公演がとっくに終了していたので堂々と載せます)
戯曲は売られているみたいですね。
まあ舞台の解釈とはいえ
私も一回見ただけではいろいろ抜け落ちていたりするので
舞台感想を書いたのだな、程度に読んでいただけたら幸いです。
「キレイー神様と待ち合わせした女ー」あらすじ(ネタばれなし)
まずは裏表紙に記載のあらすじをご紹介しますね。
三つの国に分かれ、100年もの間、民族紛争が続く”もう一つの日本”。
その争いのさなか、民族解放軍を名乗るグループに誘拐され、監禁されていた少女が、10年ぶりにソトの世界に脱出する。
すべての過去を忘れた少女は自ら”ケガレ”と名乗り、ダイズでできている兵士”ダイズ兵”の死体回収業で生計を立てているキネコ、頭は弱いが枯れ木に花を咲かせる能力を持つ少年ハリコナたち”カネコ組”と出会い仲間に加わる。回収されたダイズ兵を食用として加工するダイダイ食品の社長令嬢・カスミと奇妙な友情で結ばれていくケガレ。
戦場をうろつき、死体を拾って小銭を稼ぐ、そんな健気なケガレを見守るのは成人したケガレ=ミソギだった。
その後ケガレは、カスミの身代わりで背中に銃弾を受け5年間昏睡状態に陥っていたが、目覚めたと同時に、同じく頭に銃弾を受け、頭脳明晰なゲイに変貌した青年ハリコナと結婚する。
死ぬことに憧れつつもなかなか死ねないダイズ兵のダイズ丸、誘拐・監禁することでしか女性と一緒にいられないマジシャンらと出会い、
現在、過去、未来が交錯する時間のなかで、ケガレは忘れたはずの忌まわしい過去と対決することになる。
この舞台には、大きな二項対立があります。
言わずもがなですが
キレイ と ケガレ
そして
キレイを追い求める人間 と ケガレを忌み嫌う人間
同じ人間の中であっても
この対立がせめぎあっているシーンもあり
まさしくこれがこの舞台の主題でしょう。
ここまでは良いとして、
クライマックスに向かうにつれて
と結構置いてけぼりにされてしまった感があり。。
以下、私なりの解釈を述べていこうと思います。
もし、最後のシーンあたりがモヤモヤしてるなぁ
と思う方がいたら読んでいただければ多少はスッキリするかと。
主人公「ケガレ」の中での対比
この物語の主人公、ケガレは
10年間もの監禁生活から脱出したあと、
何者かから「オマエはケガレだ」と言われ「ケガレ」と名乗ります。
その後なんやかんやあり(略)
5年間の昏睡状態から目覚めて成人となったケガレは
「寝ている間ずっと”ミソギ”って叫んでた」
というダイズ丸の証言もあり
ダイズ丸やハリコナから「オマエはミソギだ」と命名され
新たな名前に変わることになります。
この構造をおさえるにあたり、
まずそもそも「ケガレ」や「ミソギ」とはなにかをおさえなければなりません。
いずれも民族学上の言葉ですので
それぞれ見ていきたいと思います。
ケガレ
誰もが「汚れ」の方が連想しやすくなった時代になりましたが、
おそらく漢字表記するなら「穢れ」でしょう。
辞書から引用するとこのようになります。
① けがれること。特に精神的にみにくいこと。よくないこと。 「この世の-に染まる」 「 -を知らない純真な少年」② 名誉をけがすこと。 「家名の-」③ 死・疫病・出産・月経などによって生じると信じられている不浄。罪・災いとともに、共同体に異常をもたらす危険な状態とみなされ、避け忌まれる。出典:weblio辞典ー穢れ
舞台を観劇する上では
①~③のすべての意味を包含した「ケガレ」
という抽象的イメージでとらえればいいと思います。
カネコ組の前に初めて姿を現した「ケガレ」は
10年もの監禁生活で見た目的にも「汚い」姿として表現されていますし、
ダイズ兵の回収をするときも
「これ回収したらせんえーん!」
とお金への執着もすごい。
しかしポイントは辞書の③の意味。
というのも、幼少期のケガレは
死や出産という③の意味ではけがれていないからです。
これがクライマックスシーンの読み取りに影響してくると考えます。
ミソギ
こちらもまず辞書から引用してみます。
① 海や川の水で体を清め、罪や穢(けが)れを洗い流すこと。② 特に陰暦六月晦日(みそか)、夏越(なごし)の祓(はらえ)の神事をいう。 [季] 夏。 《 禰宜ひとり-するなる野河かな /几董 》出典:weblio辞典ー禊
この辞書の意味を捉えただけでも、
ケガレとミソギは大きな対立関係にあることが分かります。
辞書的な意味だけでなく、
成人したミソギはケガレとは性格も変わっていました。
「慰謝料1億ちょうだい!」
と言われれば
「じゃあ2億さしあげます!」
と言って破産したり。
そしてミソギのポイントとしては
ケガレと対照的に、
カスミの死やダイズ丸との子供の出産など、
③の意味でのけがれと直面しているということ。
ケガレとミソギの対比
ここまでをまとめて
幼少期:ケガレ と 成人期:ミソギ を対比してみます。
この対比を整理したうえで
疑問として挙げられるのは以下。
クライマックスに向けた疑問
・地下から脱出する際、「オマエはケガレだ」と命名したのは誰?
・なぜケガレは「カミ」の存在をそこまで気にしている?
・ミソギが何かにつけ掘り起こそうとしているのは何?
・ミソギがお金に執着しなくなってしまったのはなぜ?
クライマックスに向け
それでは上記の疑問を解決すべく、
重要なポイントを整理していきます。
ハリコナとカスミの存在
まず一つ目はコレ。
基本的にどの人物も欠かせないのですが、疑問を解決するにあたっては
ハリコナとカスミの存在は大きいです。
ハリコナ
そもそも「ケガレ」は
「ケ」が「枯れ」ることが由来だとされています。
ハレとケ
ハレ ・・・ 非日常
ケ ・・・・ 日常
「ケ」が「枯れ」るような、
既存の秩序を乱す存在。
これがケガレだとしたときに
枯れ木に花を咲かせる能力を持つハリコナは
ケガレを「穢れ」でなくしてくれる象徴的存在と言えるでしょう。
また、このように考えると
「花」はケガレの対立にある「キレイ」の象徴と言えます。
カスミ
まず身なりからカスミはケガレの対極にあります。
そして彼女の特徴は
「すべてを受け入れる」こと。
自分の足の傷を見せながら
貧乏なダウン症の子とは結婚できないと思ったからエビに噛まれた
と歌ったり。
本当の私は汚いからここにいないあなたが好き
と歌ったり。
ケガレが10年間もの監禁生活をすべて忘れたり
ハリコナがバカだったころの自分を忘れたり
ジュッテンがもう見たくないものを見ないように目をつむったり
忘れたい、消し去りたいと思うものから逃げたり、目を背けたりする中で
カスミだけは自分の汚い部分から目を背けずに向き合っています。
ここまでをまとめると以下の通り。
ケガレとハリコナは「花」を介して
ケガレ(ミソギ)とカスミは「目を背けたいもの=ケガレたもの」を介して
それぞれ対立関係にあると言えますね。
カミは誰?
成人し、社長夫人として「キレイ」な生活を送っていたはずのミソギ。
しかしダイズ丸と不倫の末出産したり
ハリコナと離婚したり
カスミが亡くなったり
最初の方に述べた「穢れ」に直面します。
ハリコナと離婚する際
と発言していることから、「キレイ」なものは集まったはず。
それなのになぜかケガレていくミソギ。
そしてクライマックス。
「忘れてきちゃったんだ!」
と叫んだミソギは
女神像を倒して地下に向かいます。
地下にいるのはカミ。
そしてカミは・・・もう一人のミソギ。
カミはミソギだった、とすると
・地下から脱出する際、「オマエはケガレだ」と命名したのは誰?
→カミ(ミソギ)。
・なぜケガレは「カミ」の存在をそこまで気にしている?
→封印した(目を背けたい)もう一人の自分だから。
・ミソギが何かにつけ掘り起こそうとしているのは何?
→封印した(目を背けたい)もう一人の自分。
・ミソギがお金に執着しなくなってしまったのはなぜ?
→キレイだと思って集めていたが、”キレイ”にはならなかった。
自分の体の大きさだけお金を集めても。
成人して名前だけ「ミソギ」に変えても。
ケガレはケガレ。
ハリコナが見せてくれた花のようにキレイにはならない。
地下室で起こった悲しくて暗い過去は、
閉じ込めるのではなくて、向き合わなければならない。
カスミがそうしていたように。
これがこの物語のクライマックスの解釈です。
ケガレているからこそキレイ
最終的にはここにたどり着くのでしょう。
汚い部分もあるからこそ人間なんですよね。
特に冒頭でもクライマックスでもあった
「女神像を倒す」シーン。
ミソギは女神像を倒して地下への扉を開けるわけですが、
地下は
・カウボーイの思うがままにされた過去
・カウボーイの犠牲
・マジシャンの独裁
など奴隷、独裁政権のような
人間として目を背けたい歴史を象徴しているように思えます。
戦争や紛争で争った暗く悲しい過去があり、
そこから一つになったからこそ建てられた自由の女神。
平和ボケするだけではなくて、
きちんとその自由の女神が建てられた背景に向き合わなければいけない、
そんなことを感じましたね。
とはいえまずはみんな歌がうまいしおもしろかった。。(語彙力)